来なければいいな。そう思っていた日が来たのは2023年12月。「梁勇基選手現役引退のお知らせ」。夢ならばいいと思った。しかし、現実だった。直接ご報告も頂いた。「現役を引退します」。頭が真っ白になった。遂にこの日が、来てしまった。その日は夕飯づくりを放棄してしまった。
梁との出会いは2004年にさかのぼる。FMラジオのパーソナリティーとしてトーク番組で共演したことがきっかけだった。その後、試合中継リポーターの仕事をしながら、練習場で、ユアテックスタジアム仙台で、プロのサッカー選手として成長し、活躍していく彼の姿を見せてもらった。おそらくベガルタ仙台歴代選手の中で一番多くヒーローインタビューにお迎えしただろう。良い時もそうでない時も、ひたむきに練習に取り組む同世代の彼の姿に励まされた。「去年よりも、もっとサッカーが上手くなりたい」。毎年、そんなサッカー小僧のようなことを言っていた。優れた技術を誇りながら、誰よりも必死に練習していた。たゆまず歩み続けていけば、成長は止まらない。そういうことを自ら実証しているかのようだった。そう、私たちのヒーローはいつも格好良いのだ。
推しの引退。それはファンにとって一大事だ。毎日に潤いを与え、困難を乗り越えていく活力となる存在に会えなくなるということは想像以上に胸を締め付けられる思いだった。しかし、梁勇基が現役を退いたその後の世界でも、私は生き延びている。結局ベガルタ仙台の戦いは、毎年スリリングで、緊張感があって、一年ごとに違った魅力にあふれている。相変わらず、今を駆け抜ける選手たちを追いかける日々を送っているのだ。心にはぽっかりと、大きな穴が開いたままなのだが。
引退会見をし、梁が「クラブコーディネーター」として忙しく飛び回る日々も見ている。わかっているはずなのに、ふとした時に、寂しさがこみあげて来る。もう練習場にも、真剣勝負のリーグ戦にも彼はいない。今回、このサイトを担当させてもらい、ピッチサイドから見つめてきた彼の姿を思い出した。コラムという名の「ラブレター」を書きながら、一つ一つ胸の思いを整理させてもらった。そして思うことは、やはり「サッカーボールを蹴っている梁勇基が見たい」ということだ。誰もが晴れやかな引退試合を開催できるわけではない。だからこそ、彼には12月14日のユアスタのピッチで、その喜びを存分に噛みしめて欲しいなと思う。恐らく私はピッチ周辺でマイクを持ちながら何らかの仕事をしているだろう。泣いたり笑ったりしながら、懐かしい仲間たちともに最高の一日を楽しみたいと思っている。