COLUMN

コラム
OUR HERO ―沈まぬ仙台の太陽―

私たちの永遠のヒーロー、背番号「10」梁勇基。私たちのヒーローは、いつからヒーローだったのだろうか。

梁勇基は大学卒業を控えた2004年、まだ冷え込みの厳しい仙台にやってきた。自分の力で未来をつかみ取るため、練習生としてトレーニングに参加し、プロ契約を勝ち取った。にぎやかな同期(中田洋介氏や関口訓充選手など)の中では少し大人しい印象で、初々しい「背番号30」のルーキーだった。

※中田洋介氏/現:盛岡商業高校サッカー部監督
 関口訓充選手/現:南葛SC所属

彼は、最初から特別な存在だったわけではない。一つずつ目の前の試練と戦い、長い時間を仲間たちと切磋琢磨し、日々戦いながら、私たちのヒーローになっていった。2006年に背番号「10」を背負い、チームの中心として躍動する姿を見せてくれた。

2008年
「J1 J2入れ替え戦」のユアテックスタジアム仙台。
涙のヤマハスタジアム。

2009年
「J1昇格」を決めたケーズデンキスタジアム水戸。

2011年
「東日本大震災」からの再開試合、等々力陸上競技場。

2012年
「J1準優勝」

2013年
「初めてのACL」

涙の時も、歓喜の瞬間も、すべて思い出に「背番号10」がいた。いてくれた。

同じ時を過ごし、同じ喜びを分ち合い、同じ困難を彼と乗り越えてきた。

共に過ごした時間が彼への信頼を強くしていった。チームが苦しい時、彼はその右足を振って味方を救い、幾度も奇跡を起こしてきた。その右足で彼にしかない人生を切り開いてきた。

そして、いつしか彼は「私たちのヒーロー」となった。

「仙台には梁勇基がいる」。

その思いは、どんな時も希望だった。

梁勇基の進んできた道は、ベガルタ仙台というクラブの歩みとも似ている。平坦な道ではないし、一つ飛びにはいかない。訪れる逆境を丁寧に一つ一つ乗り越えて、ゆっくりと前へ。「第二の故郷」を見つけた彼は、その街で誰よりも愛される選手となっていった。

背番号10、梁勇基。ベガルタ仙台の象徴であり、クラブに関わる人々を照らす太陽。誇り。私たちのヒーローは、2023シーズン限りで「現役引退」という大きな決断をした。ずっと「この日が来なければいい」と思っていた。

しかし、その日は来てしまった。

彼の残した偉大な足跡は、後輩たちや見守り続けた人々の胸に刻まれている。右足でユアスタの空に描いた華麗なアーチも、一本一本が色あせることのない大切な記憶だ。

現在はクラブコーディネーターとして、新たなサッカー人生もベガルタ仙台に寄り添う。そしてベガルタ仙台も、彼と一緒に歩み続ける。

2024年12月14日、ユアテックスタジアム仙台は「10番」一色に染まる。そこには彼と共に戦い、数々の名場面を見せてくれた仲間たちが集結する。

12月14日梁勇基のピッチ上での最後の勇姿をこの目に焼き付け、そして、また彼と一緒に夢を見る。やっぱり、彼は私たちの永遠のヒーローだ。

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